ルワンダでの虐殺を描いた『ホテルルワンダ』を見て感じた無力感を、まだ覚えている。
終わってすぐに、席を立つことができなかった。
そしてその無力感の享受において、それの数段上をいくのがこの映画。
伝えることの意味は?国際的に作品が評価されることの意味は?
見終わったあと、僕はこの日本でのんきに平和に生きている愚かさを恥じた。
今も、あの地に人々は生きているのに。
現在も軍事政権の続くミャンマー。
『いつ誰に通報されるか分からない』
そんな思いを抱えた人々は一様に政治に対して口を閉ざし、外国人も限られた観光客しか入ることができない。傍から見れば全く“自由”のない状況。
しかし、過去にはそれを変えようと動いた人たちがいた。
思い起こせば1988年のあの日。
人々は決起し、時の政権の圧政に反対して立ち上がった。
小さな集まりはやがて大きなうねりとなり、体制すら変えられるように、見えた。
だけどその夢は武力によって鎮圧された。死者数百人。
丸腰の市民に向かって発砲された銃弾の音が、衝撃が今なお人々の胸に影を落とす。
それから19年が経ち。
2007年8月。石油の値上げに端を発し、怒りや不満、不安を募らせながら、それでも我慢を続けていた人々が“民主化”に向けてついに動き出す。
始めに、沈黙を貫いてきた僧侶が、動いた。
『政治的なこととは関係を持ちたくない。
しかし本当に人々が困っているのを目の当たりにした今、私たちは動かなくてはいけない』
19年前のあの日の恐ろしさを今も思い出す人々も、僧侶が動くなら…と、輪が広がっていく。
そしてそれを撮影し、外部に伝える人々がいた。彼らはビルマのVJ(ビデオジャーナリスト)。
危険を顧みず、『何かが変わる。今、それが起きつつある』と信じ配信を続けていく。
デモは広がりを見せ、数日後には数万人以上の規模となった。
老いも若いも男も女も関係なく、路上には人が溢れていた。
そして道端から、屋上から、建物の窓から、
無数の声援の後押しが聞こえてくる。
『今を伝える。確実に何かが変わりつつある』VJたちのそんな心の声が聞こえてくる。
その瞬間、希望を信じた人々の姿を僕は忘れたくない。
人は、行動することができる。
たとえどうしようもない抑圧化にあっても、
皆が集まれば、とてつもないエネルギーを生む。
しかし、そんなつかの間の夢はあっという間に崩壊していった。
僧侶への暴行。それにも屈することなく行動を続けた人たちへの、発砲。
僧侶の死。民衆の死。
僕らが信じた変化への可能性は、暴力によってあっという間に瓦解してしまう。
どうして、そこで撃ってしまうのだろう。
あなた方が撃ってしまったら、結局は何も変わらない。
今いる立場は違えども、同じミャンマー人、同じ人間。
大事な人たちがいて、生きる喜びがある。
戦時においては敵を『同じ人間とは思えない』と考えることで、心を守るらしい。
だけどそこは戦地ではない。平凡な首都の通り。
人を殺すことは、結局は自分たちの心を苦しめるだけだ。
なんで撃っちゃうんだよ…
基本的に性善説で生きている僕は、
目の前の画面で起きている出来事が信じられない。
現実感を伴わない。
もちろん、現実の世界から遠く離れた出来事ではあるのかもしれないけれど。
結局デモ隊は死への恐怖により散り散りになり、僧侶もその多くが捕まえられた。
使命感により動き続けたVJたちも、拠点が潰され仲間が捕まり、もはや組織の呈をなさなかった。
決起し、行動し、弾圧され、それでも屈しなかった人々の姿は美しかった。
だけど、非暴力は暴力に勝つことはできない。
そんなことを、実写の映像で見せつけられ、とんでもなく気落ちしたこの間の日曜日。
見終わった後僕は、
『ある領域においては、伝えることは無意味なのかもしれない。
映画が発表されて、評価され、それでも現状は何ら変わらない』
と一緒に見ていた女の子に話した。
彼女はこう云う。
『内側からは変わらないかもしれない。
でも世界の人がこの映画を見てその境遇に共感して何らかの影響を与えることはできるかもしれない。
だから、無駄じゃないよ』と。
報道すること、何かを伝えることは凄く意義のあること。
でも伝える主体である人々は概して、当事者に対して直接何らかの施しをすることはできない。
彼らに出来るのは、きっかけを与えること。
そしてきっかけを与えられた人が増えれば増えるほど、世界が変わる可能性は大きくなるのだと思う。
そんな意味で、この映画もきっかけを与えるための作品なのかなあ…と、気落ちしながらもぼんやりと考える。
…では、きっかけを与えられた僕たちにすべきことは、できることは何だろう?
なんなんだろう、なあ…。
終わってすぐに、席を立つことができなかった。
そしてその無力感の享受において、それの数段上をいくのがこの映画。
伝えることの意味は?国際的に作品が評価されることの意味は?
見終わったあと、僕はこの日本でのんきに平和に生きている愚かさを恥じた。
今も、あの地に人々は生きているのに。
現在も軍事政権の続くミャンマー。
『いつ誰に通報されるか分からない』
そんな思いを抱えた人々は一様に政治に対して口を閉ざし、外国人も限られた観光客しか入ることができない。傍から見れば全く“自由”のない状況。
しかし、過去にはそれを変えようと動いた人たちがいた。
思い起こせば1988年のあの日。
人々は決起し、時の政権の圧政に反対して立ち上がった。
小さな集まりはやがて大きなうねりとなり、体制すら変えられるように、見えた。
だけどその夢は武力によって鎮圧された。死者数百人。
丸腰の市民に向かって発砲された銃弾の音が、衝撃が今なお人々の胸に影を落とす。
それから19年が経ち。
2007年8月。石油の値上げに端を発し、怒りや不満、不安を募らせながら、それでも我慢を続けていた人々が“民主化”に向けてついに動き出す。
始めに、沈黙を貫いてきた僧侶が、動いた。
『政治的なこととは関係を持ちたくない。
しかし本当に人々が困っているのを目の当たりにした今、私たちは動かなくてはいけない』
19年前のあの日の恐ろしさを今も思い出す人々も、僧侶が動くなら…と、輪が広がっていく。
そしてそれを撮影し、外部に伝える人々がいた。彼らはビルマのVJ(ビデオジャーナリスト)。
危険を顧みず、『何かが変わる。今、それが起きつつある』と信じ配信を続けていく。
デモは広がりを見せ、数日後には数万人以上の規模となった。
老いも若いも男も女も関係なく、路上には人が溢れていた。
そして道端から、屋上から、建物の窓から、
無数の声援の後押しが聞こえてくる。
『今を伝える。確実に何かが変わりつつある』VJたちのそんな心の声が聞こえてくる。
その瞬間、希望を信じた人々の姿を僕は忘れたくない。
人は、行動することができる。
たとえどうしようもない抑圧化にあっても、
皆が集まれば、とてつもないエネルギーを生む。
しかし、そんなつかの間の夢はあっという間に崩壊していった。
僧侶への暴行。それにも屈することなく行動を続けた人たちへの、発砲。
僧侶の死。民衆の死。
僕らが信じた変化への可能性は、暴力によってあっという間に瓦解してしまう。
どうして、そこで撃ってしまうのだろう。
あなた方が撃ってしまったら、結局は何も変わらない。
今いる立場は違えども、同じミャンマー人、同じ人間。
大事な人たちがいて、生きる喜びがある。
戦時においては敵を『同じ人間とは思えない』と考えることで、心を守るらしい。
だけどそこは戦地ではない。平凡な首都の通り。
人を殺すことは、結局は自分たちの心を苦しめるだけだ。
なんで撃っちゃうんだよ…
基本的に性善説で生きている僕は、
目の前の画面で起きている出来事が信じられない。
現実感を伴わない。
もちろん、現実の世界から遠く離れた出来事ではあるのかもしれないけれど。
結局デモ隊は死への恐怖により散り散りになり、僧侶もその多くが捕まえられた。
使命感により動き続けたVJたちも、拠点が潰され仲間が捕まり、もはや組織の呈をなさなかった。
決起し、行動し、弾圧され、それでも屈しなかった人々の姿は美しかった。
だけど、非暴力は暴力に勝つことはできない。
そんなことを、実写の映像で見せつけられ、とんでもなく気落ちしたこの間の日曜日。
見終わった後僕は、
『ある領域においては、伝えることは無意味なのかもしれない。
映画が発表されて、評価され、それでも現状は何ら変わらない』
と一緒に見ていた女の子に話した。
彼女はこう云う。
『内側からは変わらないかもしれない。
でも世界の人がこの映画を見てその境遇に共感して何らかの影響を与えることはできるかもしれない。
だから、無駄じゃないよ』と。
報道すること、何かを伝えることは凄く意義のあること。
でも伝える主体である人々は概して、当事者に対して直接何らかの施しをすることはできない。
彼らに出来るのは、きっかけを与えること。
そしてきっかけを与えられた人が増えれば増えるほど、世界が変わる可能性は大きくなるのだと思う。
そんな意味で、この映画もきっかけを与えるための作品なのかなあ…と、気落ちしながらもぼんやりと考える。
…では、きっかけを与えられた僕たちにすべきことは、できることは何だろう?
なんなんだろう、なあ…。
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