南米ペルー
かつてインカ帝国の栄えた町クスコの周辺は
周囲をアンデスの峰々に囲まれた『インカの聖なる谷』と呼ばれる地域
アンデスに囲まれているとは言えその標高は既に3000m級
バスで少し走れば分かるが、
いわゆる森林限界点を超えているのだろう。
乾季の大地は黄土がかった茶色
空の群青
それに浮かぶ雲の白
日干し煉瓦で作られた家々の茶色
わずかな草は見られるとは言え、
世界はほぼ3色でしか表現されていなかった
こんな世界があるんだなあ、
こんな世界の果てのようなところで
確かに人が暮らしている。
温暖湿潤の日本にくらし、
同じく多雨のアジア圏を旅していた僕には
その景色が素直に新鮮に映る
そんな乾いた世界を、
40ドルで衝動買いしたマウンテンバイクで駆ける日々
乾季とは言え
農作業に準じる人々がいる

家畜を歩かせ、
自身もゆっくりと歩みを進める人々がいる

『Ohla!』
アジアと比べ人に溶け込むのに相当苦労していた南米だけど
ここへきて初めて
アジア人でなく同じ人間として見てもらえているなあ
そう感じるコミュニケーションが増えてきた
そんなある日。
定宿の友人、
クリスティアンの異母兄弟ヨバンニと二人でハイキングに出かける
『今日は、インカの遺跡を案内するよ』
そう言うヨバンニと
バスに小一時間乗って降りた地点から山に登る
どうやらインカの遺跡は、山を登った上の高台にあるという
標高3000mからスタートする山登りは、
少し登っただけで簡単に富士山を越えてしまう
『いい景色だろう?』
お互いが英語とスペイン語をちゃんぽんして必死のコミュニケーション
あまり弾まない会話の中、
ヨバンニが声をかけてくる。
そう、中腹に差し掛かった山から見下ろす風景は、確かにいい景色。
眼下にはウルバンバ川というマチュピチュの奥の方から流れてくる川が流れ
その近くには小さな集落
どんな高地にあっても、
水があれば人は生きていけるんだ
(逆に言えば、水がなければ人は生きることができない
今世紀は水戦争の時代になるというが…)
高地ゆえに
はあはあ言いながらも、
輝く太陽と乾いた空気のもと
心地良い山登りを続ける
草のほとんど生えない不毛の山肌をたまにずり落ちそうになりながら
2時間ほど登ったろうか
『着いたぜ。
ここに来るのは2回目なんだ』
そう語るヨバンニの後ろには、
インカの小さな遺跡と
そしてサッカーに興じる人々の姿があった

こんなところでサッカー??
山の頂上を示す看板には、4500mとあった
なんだってこんな、
麓から2時間もかかるところで
ふと見やれば、同じ高度の位置に集落があるのが見えた
あそこに住んでる人たちなのかあ。
すげえなあ。
傍らにはリャマが一頭繋がれ。
小さい小さいボールを、
青空を背景に男たちが追いかけ走り回る。
曜日も時間も関係なく、
サッカーに興じる男たちの姿を見て思う。
人はどこでだって生きていけるんだなあ、と
彼らだって、
そこに生まれたくて生まれ、
住みたくて住んでいるわけではないかもしれない。
むしろ、情報の多い昨今の世の中では
大変な不便を感じているかもしれない
だけど、それでも
生まれた土地から離れることなく
地に足をつけ
食べるものを自分たちで賄い
家族を養い
日々を生きる人たちがいる。
そういう人たちと比べると
札幌に生まれ
父の転勤で転々とし
それでも北海道
東北を拠点にはしていたけど
今は東京にいて
もう実家で暮らすことは生涯ないと考え
いつでも外国に行きたくてしょうがない自分が
とてもとても、
地に足の着いていない
ダメ人間のように思えてくる
『見たいから。知りたいから』
旅の目的は、所詮そんなものでそれ以上でも以下でもない。
と今日少し立ち読みした旅行記で筆者が言っていた
僕もそれに同意。
見たいから、知りたいから、会いたいから、感じたいから
旅の動機なんてそんなものだけど
だけどそれをできるのは
やはり僕らが日本という国に生まれ
かつそこまで困窮しない暮らしをさせて頂いているから
選択肢は、無限にある
その状況を僕らが生かしているのかそうでないのかは分からないけど
それでも
ここアンデスの高地に生きる人々と比べると、
やはり僕は恵まれているんだな
ちっぽけな人々の、生きるという行為の偉大さ
恵まれた自分と、旅に出るという選択肢のない人々との差異
色々と気づかせてくれた
アンデスの民に感謝。
彼らは今日も、明日も
不毛の大地に鍬を入れ、耕し
時折サッカーに興じ
家族を養って生きているのだろう。
あんまりうまくまとまらなかったなあ。
説教風で、
話も脱線してごめんなさい。
次回はもっとうまく書けますように。
かつてインカ帝国の栄えた町クスコの周辺は
周囲をアンデスの峰々に囲まれた『インカの聖なる谷』と呼ばれる地域
アンデスに囲まれているとは言えその標高は既に3000m級
バスで少し走れば分かるが、
いわゆる森林限界点を超えているのだろう。
乾季の大地は黄土がかった茶色
空の群青
それに浮かぶ雲の白
日干し煉瓦で作られた家々の茶色
わずかな草は見られるとは言え、
世界はほぼ3色でしか表現されていなかった
こんな世界があるんだなあ、
こんな世界の果てのようなところで
確かに人が暮らしている。
温暖湿潤の日本にくらし、
同じく多雨のアジア圏を旅していた僕には
その景色が素直に新鮮に映る
そんな乾いた世界を、
40ドルで衝動買いしたマウンテンバイクで駆ける日々
乾季とは言え
農作業に準じる人々がいる

家畜を歩かせ、
自身もゆっくりと歩みを進める人々がいる

『Ohla!』
アジアと比べ人に溶け込むのに相当苦労していた南米だけど
ここへきて初めて
アジア人でなく同じ人間として見てもらえているなあ
そう感じるコミュニケーションが増えてきた
そんなある日。
定宿の友人、
クリスティアンの異母兄弟ヨバンニと二人でハイキングに出かける
『今日は、インカの遺跡を案内するよ』
そう言うヨバンニと
バスに小一時間乗って降りた地点から山に登る
どうやらインカの遺跡は、山を登った上の高台にあるという
標高3000mからスタートする山登りは、
少し登っただけで簡単に富士山を越えてしまう
『いい景色だろう?』
お互いが英語とスペイン語をちゃんぽんして必死のコミュニケーション
あまり弾まない会話の中、
ヨバンニが声をかけてくる。
そう、中腹に差し掛かった山から見下ろす風景は、確かにいい景色。
眼下にはウルバンバ川というマチュピチュの奥の方から流れてくる川が流れ
その近くには小さな集落
どんな高地にあっても、
水があれば人は生きていけるんだ
(逆に言えば、水がなければ人は生きることができない
今世紀は水戦争の時代になるというが…)
高地ゆえに
はあはあ言いながらも、
輝く太陽と乾いた空気のもと
心地良い山登りを続ける
草のほとんど生えない不毛の山肌をたまにずり落ちそうになりながら
2時間ほど登ったろうか
『着いたぜ。
ここに来るのは2回目なんだ』
そう語るヨバンニの後ろには、
インカの小さな遺跡と
そしてサッカーに興じる人々の姿があった

こんなところでサッカー??
山の頂上を示す看板には、4500mとあった
なんだってこんな、
麓から2時間もかかるところで
ふと見やれば、同じ高度の位置に集落があるのが見えた
あそこに住んでる人たちなのかあ。
すげえなあ。
傍らにはリャマが一頭繋がれ。
小さい小さいボールを、
青空を背景に男たちが追いかけ走り回る。
曜日も時間も関係なく、
サッカーに興じる男たちの姿を見て思う。
人はどこでだって生きていけるんだなあ、と
彼らだって、
そこに生まれたくて生まれ、
住みたくて住んでいるわけではないかもしれない。
むしろ、情報の多い昨今の世の中では
大変な不便を感じているかもしれない
だけど、それでも
生まれた土地から離れることなく
地に足をつけ
食べるものを自分たちで賄い
家族を養い
日々を生きる人たちがいる。
そういう人たちと比べると
札幌に生まれ
父の転勤で転々とし
それでも北海道
東北を拠点にはしていたけど
今は東京にいて
もう実家で暮らすことは生涯ないと考え
いつでも外国に行きたくてしょうがない自分が
とてもとても、
地に足の着いていない
ダメ人間のように思えてくる
『見たいから。知りたいから』
旅の目的は、所詮そんなものでそれ以上でも以下でもない。
と今日少し立ち読みした旅行記で筆者が言っていた
僕もそれに同意。
見たいから、知りたいから、会いたいから、感じたいから
旅の動機なんてそんなものだけど
だけどそれをできるのは
やはり僕らが日本という国に生まれ
かつそこまで困窮しない暮らしをさせて頂いているから
選択肢は、無限にある
その状況を僕らが生かしているのかそうでないのかは分からないけど
それでも
ここアンデスの高地に生きる人々と比べると、
やはり僕は恵まれているんだな
ちっぽけな人々の、生きるという行為の偉大さ
恵まれた自分と、旅に出るという選択肢のない人々との差異
色々と気づかせてくれた
アンデスの民に感謝。
彼らは今日も、明日も
不毛の大地に鍬を入れ、耕し
時折サッカーに興じ
家族を養って生きているのだろう。
あんまりうまくまとまらなかったなあ。
説教風で、
話も脱線してごめんなさい。
次回はもっとうまく書けますように。
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